2010年12月28日火曜日

ケインズより先に恐慌脱出 年末に「是清自伝」のすすめ

2010.12.28

年末年始はまとまって時間がとれる貴重な休みだ。何かとせわしくテレビもいろいろな番組を提供するが、じっくりと読書をするのもいい。おすすめは、『高橋是清自伝(上・下)』(中公文庫)と『随想録』(中公クラシックス)だ。

まず断っておくが、私は高橋是清と同姓であるが、縁戚関係はない。是清の研究はいろいろな人で行われており、その子孫に洋一という実在人物がいる。そこで、私は何回か是清研究者から照会を受けたことがある。

また、是清の大恐慌における経済政策は世界的にみても顕著であったので、海外でもよく研究されている。現在のFRB(連邦準備制度理事会)議長のバーナンキ氏もプリンストン大教授時代に是清の経済政策を高く評価していた。

私がプリンストン大にいたとき、バーナンキ氏はひょんなことから私が是清の親戚と誤解していた。もちろんその誤解は解いた。

いずれにしても、是清の自伝と随想録は面白い本だ。是清の人生は波瀾万丈だ。それほど裕福な出身でなかったが、英語と出合い、海外に行くが、そこで騙され て奴隷同然の召使いにされる。それを逃れて帰国し、英語教員などを務めた後、官僚になり、現在の特許庁の初代長官に就いて特許制度の基礎を作った。

その後ペルーに渡り銀鉱事業を行うが失敗。帰国後、日銀に入行。日銀副総裁として、日露戦争の際、戦費調達のために外債調達で活躍した。

その後政界入りし、1913年から34年までの間に大蔵大臣に7度もなった。21年には首相にもなっている。最後は軍部によって自宅で暗殺された。

クライマックスは、31年からの金解禁停止(金本位制からの離脱)や公債日銀引き受けによる財政出動だ。現在でいうところの財政政策と金融政策のフル活動によって、世界大恐慌の中でも日本経済をデフレからいち早く脱出させた。

この点でケインズより先に大恐慌脱出策を実施したと世界で高く評価されている。是清がすごかったのは、財政政策の着眼とともに金融政策を縦横に活用したリ フレ(リフレーション=デフレから緩やかなインフレを目指す)政策を実施したという点だ。公債を日銀引き受けすれば、通貨量が増加し、デフレがすぐに直る こともよく知っていた。

しかも、市場経済をよく理解していて、当時「富国強兵」といわれていたが、是清はそのかわりに「富国裕民」という言葉を使っていた。

是清の前任の大蔵大臣である井上準之助はデフレを助長する緊縮財政、金融引き締めを行い、好対照であった。現在の財務省と日銀が行っているのは、当時の準 之助のような緊縮財政、金融引き締めと同じ系統だ。今求められるのは、是清のような政治家と政策だ。(嘉悦大教授、元内閣参事官・高橋洋一)

次回から「2011『日本』の解き方」に改題します。

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