2010年2月13日土曜日

日本交通の栄光と挫折・川鍋一朗研究 No.7

編集長の道草

連載特集:日本交通の栄光と挫折・川鍋一朗研究 No.7

このたび中曽根康弘元総理の孫娘と結婚
その時、日本交通の社長を辞任していた

【タクシージャパン No.132号(09.10.25日号)より転載】

前号では、川鍋一朗氏につながる華麗なる人脈を縦糸に、そして等身大の自分と向き合う揺れる心を横糸に、日本交通における氏のコーポレート・ガバナンスの今に迫った。

  氏の母方の家系は藤山コンツェルンや福沢諭吉らに、そして父方の家系が皇室の外戚で東京ガスのトップを務めてきた安西家に連なる。「名門の〝ものさし〟は 天皇家との距離できまる」(神一行著『閨閥』より)とすれば、この安西家こそ日本の支配層である政財界の中枢を担う、名門中の名門の家柄といえる。

 そして一朗氏は十月四日、中曽根康弘元総理の長男である中曽根弘文前外務大臣の長女と、都内のホテルで盛大な結婚披露宴を催している。

 今号では、福沢諭吉や藤山コンツェルンにつながる母方の家系と、安西家につながる父方の家系と、今回の婚姻でつながる鹿島・中曽根家を略系図でみてみる。前号と併せて見ていただければ、日本の支配者層に驚くほど広範に、その人脈が張り巡らされていることがわかる。

  一千九百億円あった債務を資産売却で一千三百億円処理し、残る六百億円を特別清算してなお、メインバンクが一朗氏を日本交通のCEO(最高経営責任者)に 任命し続けている訳は、この華麗なる閨閥にあるのかも。そして元総理の孫娘との婚姻は、結果的にこの閨閥をさらに強固なものに。一方で日本交通の社長を辞 任し、そして、辞任を撤回するというドタバタが。その訳は…。(文責=高橋正信))




●“逆タマ”?
 週刊新潮十月一日号に「『中曽根大勲位』孫娘と結婚指輪を選んだ大手タクシー『御曹司社長』」の見出し記事が、掲載されている。内容は、隠し撮り風でインタビューに答えている。ご覧のとおり、やらせっぽいのだが、それはわざとらしいインタビューもしかり。

 「去年の夏、共通の友人を通じて知り合い、私が一目惚れしました。最初から、ご家族のことは知っていましたが、彼女自身にひかれたので。私は慶応大学のスキー部でしたから、お互い体育会系で話しがあったというか、歳の差は感じませんでした」

 私が一目惚れした→中曽根康弘元総理の孫で中曽根弘文前外務大臣の長女であることは知っていた→が、彼女自身に引かれた、と言っているのであり、随分と自意識過剰なコメントに聞こえる。




  一朗氏が家柄ではなく人物本位で配偶者を選んだと言っていることとは別にして、鹿島・中曽根家略系図をご覧いただきたい。鹿島建設・梁瀬自動車・大昭和製 紙・トヨタ自動車などの誰もが知っている財界の中心的企業群や経団連会長や国会議員や大学教授などに、好むと好まざるとにかかわらず、つながっていくので あった。そういう意味で今回の結婚は、すべての資産を失った一朗氏にとって、いわば〝逆タマ〟といえば言い過ぎか。






●社長退任
 この稿を作成していた最中、一朗氏が日本交通の社長を退任したというニュースが飛び込んできた。さっそく調査したところ、以下のことが判明した。

 ハイヤー・タクシー事業を営む日本交通(資本金一億円、平成十九年六月一日設立、本社東京都品川区八潮三-二-
三 十四、二階)と日本交通(資本金一千万円、平成十八年二月二日設立、本社東京都品川区八潮三-二-三十四、六階)の二社についていずれも、一朗氏が代表取 締役を辞任。取締役の林紀孝・中島一雄・上田敏・松嶋俊則の四氏、それに監査役の名取正人氏が辞任。代わって代表取締役の豊永信夫氏・取締役に御園滋芳・ 常盤和美の二氏が、そして監査役に大貫昭憲氏が就任しているのである。その辞任と就任は九月八日付で、登記日は一朗氏の結婚の三日後の十月七日、そして運 輸当局への届出は、十月十三日になっており、このことは社内的にも正式な発表が行なわれていないところをあわせ考えると、そこに隠された何らかの恣意的な 意図が隠されているといえるだろう。

 更に調査を進めていくと、昨年買収した蔦交通や一昨年に経営傘下に入れた東洋交通の二社について は、従来どおり一朗氏が代表取締役を務めているほか、ハイタク外の別会社である日本交通(資本金一億円、昭和二十五年七月十三日設立、本社東京都品川区八 潮三-二-三十四、一階)の代表取締役は引き続き一朗氏が務めているなど、日本交通グループ全体のCEOであることは間違いなさそうだ。

●分割合併の怪


  一朗氏の社長退任の情報を元に調査した結果、日本交通は頻繁に会社分割と合併を繰り返してきた事実が浮き上がってきた。元々川鍋秋蔵氏の手によって終戦直 後に立ち上がった日本交通は、周辺事業の拡大によって日交総合本社に社名を変更し、ハイヤー・タクシー部門は昭和二十五年に設立した日本交通に継承させ て、今日に至っていた。

 その日本交通を平成十八年に六社に分割して、東京都品川区八潮三-二-三十四のJR貨物が所有する本社ビル車庫 の一階~七階までに、それぞれの階ごとに同一社名の日本交通を一社ずつ配置した。が、しかし、本年二月に二階の日本交通が三階、四階、五階の日本交通を合 併吸収したほか、六階の日本交通が七階の日本交通を同じく吸収していて、現状は一階、二階、六階の三社が存在し、うち一階はハイヤー・タクシー事業外と なっているという。こんなジグソーパズルのような会社の設立ラッシュと頻繁な分割、合併の繰り返しは一体、何を意味するのか。

 それはと もかく、百年に一度の世界金融大恐慌の二番底が懸念される中、タクシー適正化特措法の施行によって、当初の目論見である五千台構想も特措法の前に頓挫のや むなきに至った。「後世に徳を残そう」というのはいいが、〝現世〟の日本交通の台所は一朗氏が社長に就任して以降、かつてない厳しさになっていることは想 像に難くない。一朗氏は、この難局をどう乗り越えて新たな明日に続く地平線をめざすことができるのか。

 いよいよこの連載も次回で幕を引く。連載最終回は、十一月二十五日付本紙に掲載する。

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